About us
当館について

さまざまな人達に愛された園。歳月の流れはロマンを秘めて…
西洋の花々が咲き乱れる風情から、
いつしか"花やしき"と呼ばれるようになった、「花やしき浮舟園」。
歴史と由緒を誇る割烹旅館
「花やしき浮舟園」

歌人・文学者・芸術家たちの定宿として愛されてまいりました。
location
アクセス

【JRをご利用の場合】

【私鉄をご利用の場合】

【お車をご利用の場合】

- ※近畿道からは、門真JCT第二京阪道経由が便利です。
- ※名神高速道路にて大阪方面よりお越しの際は途中、左ルートを走行して下さい。
- ※京滋バイパス大山崎方面からは、宇治東ICでは降りれませんのでご注意下さい。
送迎情報
- 最寄の駅(JR宇治駅、京阪宇治駅)
- 送迎あります(条件あり)
※送迎可能な時間帯は日によって異なります。
当日お電話にて送迎が可能かどうかご確認ください。
シャトルバスの予約状況により、送迎をお断りさせていただく場合がございます。
予めご了承くださいませ。
History
当館の歴史

「花やしき浮舟園」は創業明治27年

当園の庭で琴の稽古をしている初代山本亀松の妻多年(右端)
明治30年頃
歌人・文学者・芸術家たちの定宿として

数多くの文人墨客が花やしきに訪れましたが画家・竹久夢ニもそのひとりでした。
竹久夢ニが描いたお千代さん
二代目女将(花やしき蔵)
平和と民主主義のために命を落とした「花やしき浮舟園」の若主人– 山本宣治

山本宣治は若い頃アメリカ大陸に渡って、当時の日本にはなかった「自由と民主主義」を見につけ、京都大学や同志社大学で生物学(人生生物学)を教えていた学者出身の国会議員です。
学者になってからも、ただ学生に学問を教えるだけで満足せず、貧しい労働者・農民にまじって世の中をよくする運動に身を投じた人でした。
そして、やがて労働党の代表として衆議院議員に当選、代議士になってからも、真の民主主義国家づくりを目指し、当時の政府と真っ向から対立した結果、反対勢力から命を狙われ、彼が39歳の時に暗殺されました。
人々が慣れ親しんで「山宣」と呼んだその人は、宇治川のほとりにある料理旅館「花やしき浮舟園」の若主人でもあった人でした。
宇治の町では毎年彼の命日である3月5日、善法の墓地で「山宣墓前祭」をひらき、平和と民主主義を守るために死んでいった故人を偲び、彼の意思を受け継ぐことを誓い合う集いをもっています。

山宣の墓
"山宣ひとり孤塁を守る だが私は淋しくない背後には大衆が支持しているから"
裏の墓碑銘を塗りつぶすまで建立を許されませんでした。しかし何度塗りつぶされても、いつのまにか彫りとられていました・・・。